12月15日(木)我々Send LOVE Project代表で、バンド天国民のリーダー石井希尚(マレ)久美子夫妻は、陸前高田戸羽太市長と会談をしました。
11月の天国民LAツアー『Don't forget Japan Tour』に、陸前高田市から後援を受け、L.A領事館宛の御礼状を預かり、渡米したのですが、
その報告と、今後の支援活動について意見を交わす為にお時間をいただいたのです。
執務室に入るなり、「お久しぶりです」「5月以来ですね」など笑顔で挨拶が交わされました。
以前より、市長の表情に笑顔が多くなったのが印象的で嬉しかったです。
今回のLAツアーに陸前高田市から後援を受けたことのお礼を延べ、ツアーの写真をお見せしながら、報告をしたのですが、
市長は「被災地はどんどん忘れられて行く。そうやって、少しでも、どこかで『陸前高田』という言葉を発信してくれる事が、本当にありがたいのです」と感謝して下さいました。
戸羽市長が見ているポイントは、「陸前高田という存在を忘れないでいてもらうために、色々な方法で発信してほしい」ということでした。
私達は、物質的にも経済的にも力があるわけではないので、大量に支援物資を送ったり、義援金を送ったりできるわけではないのですが、
私達自身が被災地のことを忘れず、カフェを通して地域やお客さんに支援の和を広げ、インターネットで海外にも発信し、
音楽を通してメッセージを届けることができます。
これからも、私達にできるこの方法を使って、『被災地が忘れられないように支援する』という方針が明確になりました。
今回、黒崎神社の祢宜(ネギ)小松さんが市庁舎まで出向いてくださって、突然『感謝状』を渡してくださいました。
10月の黒崎神社奉納ライヴのお礼という事で、わざわざ広田から駆けつけて下さったのです。
その小松さんにも、市長の執務室にまでご一緒してもらいました。
私達がLAでの報告をしているその場に、小松さんにも居てもらえて、本当に嬉しかったです。
本当なら、広田のみなさんにも、このご報告をしたいところでした。
一通り報告を終えたあとは市長からの、今後の復興のビジョンを伺いました。
全くの悲劇だった被災を、新しい街づくりの機会とポジティブにとらえ、100年後にも残る良い街づくりに取り組んでいきたいと意欲的に語っておられました。
市長は続けて話してくれます。
町の景観も大切にしたい。みんなの『ふるさと』を取り戻したい。
頑丈な大きな高層ビルを立てて、そこに色々な施設を入れればいいじゃないか、という声もありますが、
誰も陸前高田にそんな大きなビルを求めてはいないんですよ。
町の『ガワ』だけ出来上がっても、中に住む人間の心が整っていなきゃ、意味がない。
弱者を助け、皆が住みやすい町にしたい。
他の場所で住み難さを感じている人がいるなら、『陸前高田に引っ越そう』と言ってもらえるような町にしたい。
定年して第二の人生をスタートするなら、『陸前高田がいいね』といってもらえるような町にしたい。
100年後の市民に、『誰だこんな町を作ったのは』と言われないようにしなくちゃね、と笑っておられました。
「復興を進めていくうえで、何がいちばん怖いかといったら、今回の震災や被災地のことを忘れ去られてしまうことです」
「何もかも失ってしまった被災地にとって、周りの方々が『気に掛けてくれていること』ほど心強いものはありません」
市長の本にも書いてあった言葉です。
世界中がクリスマスシーズンに浮かれ、新年を新しい気持ちで迎える時。
あらゆる機会に、あらゆる方法で、この忘れてはいけない災害の記憶と、現在も厳しい環境におられる現地の状況を伝えていこうと思います。
会談を終えた後、地元メディアのテレビ岩手、東海新報からの取材がありました。