4年に一度、陸前高田広田地区の各集落の祭りが一つになって開催される「黒崎神社例大祭」、それが今年でした。
しかし、震災のため神輿を始め道具、人員を失ってしまい、
祭りは取りやめるべきという意見と、だからこそやるべきだ、という意見に分かれ、開催は2転3転しました。
決して単純な話では括れない被災地の祭事運営、計り知れない苦労と、勇気の決断がこの日を迎えたのです。
そんな議論のさなか、8月15日広田小学校前で演奏した天国民を観た総代さんが「是非力を貸して欲しい」と相談を持ちかけてくれたのが今回のいきさつです。
10月9日(日)この日、私たちは神社奉納ライヴというかつて無いミッション(使命)を受けて総勢40名のスタッフで広田にのり込みました。
辺りはまだ暗い午前4時に到着、日の出とともにステージ設営作業開始。
今回も栃木の東日本舞台株式会社様から無償で機材の貸し出し、そしてPAスタッフ二本柳さんのボランティア参加がありました。この場を借りてお礼申し上げます。
前夜の幻想的な濃霧が明けたこの日の空は快晴、朝8:45分定刻通り黒崎神社例祭は始まりました。
ステージ上には宮司(ぐうじ)さん、総代(そうだい)、そこに天国民メンバーが揃います。
今回の天国民招聘を提案してくれた菅野総代が天国民リーダー、マレに駆け寄ります。
「涙が出ます」と手を握りしめ挨拶、今回の例祭開催は言葉では尽くせない大きな想いがあるのです。
開会の挨拶に続いて、震災の犠牲になった命を想い1分間の黙祷。
準備で慌ただしいステージ周辺、そして会場全体の時間が、一瞬にして止まりました。
「被災をされて絶望と試練の中におられる皆様...」という切り出しで始まる総代長の挨拶。
その中にあって(今回のように)全国からの支援に勇気と力をもらい前進していきましょう、という言葉で締められました。
そして、ここで天国民による鎮魂の演奏。
時間が止まった黒崎神社の空の下、歌われた曲は「生まれる前にいた場所へ」
あなたが押し流すと、人は眠りに落ち
朝には移ろう 草のよう
夜明けには、花を咲かせても、また移ろい
夕べにはしおれて枯れる
あまりにはかなくて、信じるのが怖いとき
隠れる場所はどこだろう
隠れる場所はどこだろう
あなたに帰ろう いま取り戻そう
変わらない、心のふるさとへ
あなたを呼ぼう 今、近づこう
生まれる前に いた場所へ
変わらないものの中にだけ人は
安らぎを見つけられるものだから
月夜に舞う桜が
遠い記憶を運ぶ
忘れないで 思い出して
忘れないで 思い出して
あなたに帰ろう いま取り戻そう
変わらない、心のふるさとへ
あなたを呼ぼう 今、近づこう
生まれる前に いた場所へ
本来、天国民の演奏はこの後のプログラム45分のみの予定でしたが、
神主さんから「黙祷の後に、天国民さんに鎮魂の歌を1曲歌って欲しい」という要請があったそうです。
あまりにもこの場に相応しい歌詞に、ステージ上の神社関係者からも感動の声が。
そして、曲を作ったマレ本人も「この日のために作られた曲だと自分で錯覚してしまうほどだった」と証言。
時空を超えた不思議な巡り合わせが、天国民と広田の絆をますます強く結びつけました。
厳(おごそ)かに執り行われた開会式に続いては、祭りの目玉、根岬 梯子虎舞(ねさき はしごとらまい)。
上空25メートルのはしごの上で、命綱無しで演じられる虎の舞。
太鼓の街らしく、男女に別れて打ち叩かれる聡明な太鼓が響く中、目を見張るパフォーマンス。
バンドメンバーも空を見上げ驚きの表情です。
虎舞と共に黒崎神社から神輿(みこし)が出発、地域の11カ所を巡ります。
その神輿が神社に戻って来るまでの約4~5時間が、神社前の舞台で「奉納演奏」を捧げる時間です。
とは言え、本来行われるはずの地元各地区の演目が、震災のため準備が出来ず、
代わりに私たち天国民を含む、ゆかりのある個人・団体の歌舞音曲がプログラムされたのでした。
地元の演歌歌手、双子の民謡姉妹、近隣からよさこいなどが駆けつけ、華やかなステージが続きました。
神社駐車場に並んだブースには、地元でもすっかりお馴染みのモバイル・キックバックカフェ。
全てはこの車から始まりました。
陽射しも強くなって来た午前11:30、いよいよ天国民の出番です。
ステージ脇に集まったメンバーは太鼓パートの最終確認、そして牧師でもあるマレが力強く祈ります。
前回8月15日同様、このライヴは神から授かった音楽家の才能、能力、そして魂を、全て奉納するステージなのです。
アメリカツアーを直前に控えた天国民は、アメリカ仕様の演奏も何曲か交えました。
そして、渋谷O-EASTのライヴではお馴染みの殺陣チーム・柴崎アクションプロジェクトが広田初登場。
もちろん友情出演の彼らが披露する「プロのチャンバラ」に、会場は大喜び。
時間が経つごとに会場の人垣が増え、1000人を越える観衆が、広田で2度目の天国民のステージに見入ります。
「例年だと、お客さんは自分に関係ある演目が終わると帰ってしまうのですが、今回は最初から最後まで誰も帰らず、ずっとステージを観ていました、これは今まで無かった事ですよ」(菅野総代)
日本人のルーツや謎の渡来人秦氏の研究をしているマレは、西洋化されたキリスト教が日本に伝わる遙か前から、秦氏によってもたらされた原始東方キリスト教が、神道という伝統の中に溶け込んでいるとの接点を紹介。
日本人は古から神を敬い讃える民族で、今こそ日本人の心を取り戻そうとメッセージ。
この心意気で、これから海を渡りアメリカに乗り込むのです。
「どうしても皆さんにお伝えしたい事があります」
マレが8月15日の時と同様に、震災の悲劇の中で神を呪うことをせず、お互いを思いやる被災地の様子が、世界中の人々の驚きと希望の光となっていた、広田の皆さんの姿こそが世界に勇気を与えたのです、と報告。
続いて歌われた「大切な人よ」は、広田の人達にもすっかりお馴染みの曲となりました。
今回広田に初登場の尺八奏者、神永DK大輔。
広田の大自然にとけ込む彼の演奏は、会場でも人気の的でした。
今年の春、初めて陸前高田を歩いた時「いつかここで天国民ライヴをやりたい」とは思ったものの、
まさかこんなに早く、しかもこれだけの大勢の人に囲まれたステージが実現するとは思ってもいませんでした。
ステージを眺める天国民現場ディレクターの安烈(左端)と、そもそも広田で出会った最初の友人、当ブログでもお馴染み漁師の笠井(右端)さん。
その後ろに広がるのが、笠井さんの「職場」広田の海です。
まさしく夢のような、異次元のステージはあっという間に過ぎていきました。
最後は8月同様の全員太鼓で締めくくり。
灼熱の中でクラクラだった前回のステージとは打って変わって、今回は涼しげな風が吹く季節。
今度、天国民が陸前高田で演奏するのは、どの季節になるのでしょう。
たった半年の、数える程の訪問の中で、数えきれない沢山の思い出と「友人」ができました。
会いたい人、話したい事は尽きません。
こちらは浜松から駆けつけた、トータルケアセンターの皆さん。
我がモバイルキックバックカーが浜松ナンバーなのは、実はこちらからお借りしていた実情があったからなのです。
今回も美味しいカレーを準備して下さいました。
大盛況だったステージのプログラムが終わる頃。地域の漁港など11カ所を巡行し神輿も戻ってきました。ご神体は息気長帯姫命(おきながたらしひめのみこと)と言うそうです。
夢だった神社ライヴが実現して興奮冷めやらぬ天国民メンバー。境内に向かう石段の前で記念撮影。
アルバムのジャケットにしたい1枚です。
記念撮影をしているところに、乾杯の呼び出し。神社の境内の中に招かれました。
神妙な面持ちのメンバーの前で、総代、宮司、神主と勢揃いした打ち上げの宴。
ところが、とても気さくで、なんともユーモア抜群の方々ばかりで、笑いが絶えない席となりました。
ここでのトークの内容はそのまま本にしたら売れるかも?!
打ち上げの挨拶も一通り終え、荷物も車に積み、いよいよ出発しようというところに、なんと、虎舞の中にいた人!
伝統芸能根岬虎舞のメンバーの方が挨拶に駆けつけてくれました。
「今回は、(祭りを)やっていいものか、悪いものかわからなかった。
だけど、やってみなければ、良いも悪いもわからない。
どんな結果でも前に進む為には、やるしかなかったんです。やって本当に良かった!」
普段は漁師の皆さん、300年に渡る伝統を文字通り命がけで守ってきた彼らにとっても、
今日はという日は大きな日だったのです。
そして最後に、虎舞でハシゴの先端にいた彼の「来年、還暦です」の言葉には、一同本当にびっくり!
「明日から、みんなまた現実に戻ります。職が無い人、家がない人、苦しい状況は変わりません。でも、今日のようなことがあれば、また頑張っていけるんです」
この総代の言葉が、幾多の自然災害と生活苦の中から常に立ち上がって来た、大和民族の姿を見ることが出来ました。
10月末アメリカに向かう天国民のツアーは、
正式に陸前高田市後援になりました。