(今やシンボルともなった、津波を耐えた一本松)
過去最大の50名に及ぶ関係スタッフが、通いなれた広田小学校前に集結。
早朝突然降り出した大雨に一瞬ヒヤリとさせられましたが、実はこの雨が最後にドラマを生むのでした。
雨もあがり、空は一気に青空に。それぞれが準備にとりかかります。
今回はキックバックカフェのスタッフ以外の、外部スタッフの力もお借りました。
今年の4月にキックバックカフェに出演したハワイアンバンド「KANEOHE GOOOOOOOD GUYS」のメンバー達は、
栃木県宇都宮でコンサート舞台設営の会社を持っているのですが、
今回の為に、二つ返事で機材を無料貸し出して下さり、しかもトラックを走らせスタッフを派遣してくれたのです。
【協力:東日本舞台株式会社】
もう一人の音響スタッフは、キックバックカフェでお馴染みのフリーのPA二本柳さん。
青森出身で、天国民バンドを良く知る彼の参加は非常に助かりました。
勿論、彼を含む全てのスタッフはノーギャラ。しかし、最高の仕事を目指します。
それが、本当の心なのだからです。
そして、今回のイベントにはもう一つのグループが参加、支えて下さいました。
宮城にあるソフトウェア会社グレープシティ株式会社、そして明泉学園の皆さんです。
震災直後から積極的に炊き出しで被災地を巡っていた、言わば「炊き出しのプロ」。
大型車と沢山のスタッフで(外国語教師の方々が中心)、食事を準備して下さいました。
モバイルキックバックカフェにとって、これ以上の頼もしい援軍はありません。
【協力:グレープシティ株式会社、宮城明泉学園】
そして、日本の西側からもサポーターが。
前回レポートした、7/30に熊本県水俣市で開催された『Send LOVEコンサート@水俣』。
その義援金で購入した新鮮な熊本の野菜が、大量に到着しました。
コンサートの主催者である、龍美光さん(コンサートの出演者で天国民メンバーの龍進一郎の父)と奥様、仲間の3人で、
何と自ら2000キロを運転して、物資を運んで来てくれたのです。
そして浜松からも仲間が到着。
リハーサルが始まると、太鼓の音に引き寄せられた広田の人達が集まってきました。
仲良くなった子供達とも再会。
子供達も支援物資の分類を手伝ってくれました。
イベント直前、控え室の校舎の一室にて。
「いいですか、これから僕らは、演奏技術を披露するライヴをやるんじゃありません。
震災で亡くなった魂と、残された人々の想いを天に届ける、祈りをするのです」
リーダーのマレ(石井希尚)がメンバーに念を押し、皆の心は一つになりました。
8月15日正午、イベントスタート。
先のグレープシティースタッフのサミュエルさんの流暢な日本語トーク&ネタや、
広田ですっかりお馴染みの、忍者達の挨拶もありましたよ。
ランチタイムは、焼きそば&ホットドック。
いよいよ和太鼓チーム「太鼓笑人めでたい」の演奏スタート。
キックバックカフェで何度もライヴをやってくれている、名門プロ太鼓集団出身の、関根まこと&江上瑠羽の演奏。
これを、誰よりも、太鼓の街である陸前高田の皆さんに観て頂きたかった。
私たちのささやかな夢がかなった瞬間です。
大太鼓を駆使したド迫力のステージもさることながら、演奏を観る広田の皆さんの眼も素晴らしい。
なんせ、拍手が沸き上がる場所が違う、玄人が観て「ここは凄いだろう」というポイントで沸き上がると拍手と歓声。
やっぱり、さすが太鼓の街です!
太鼓のバチさばきを真似る子供の姿も。
最高のオーディエンスの前で、やりがいある舞台を務めた関根&瑠羽さん。
しかし燃え尽きる間もなく、いよいよ天国民のライヴです。
この秋にLAツアーが決まっている天国民。
しかし、アメリカ以上に重要なステージ、陸前高田で精一杯のプレイをしました。
ユダヤの言葉で「ハレルヤ」の「ヤー」は、日本の祇園祭の「エンヤラヤー」と同じ、神を称える言葉。
我々日本人こそ、太古の昔から神に捧げる音楽、ゴスペルを歌っていたのです。
さあ、一緒に歌声を捧げましょう。
マレ(石井希尚)のリードで、場内が一つになったハレルヤコーラス。
希望の祈りよ、天まで届け!
この日、マレ(石井希尚)は、ステージからどうしても言いたかった事がありました。
「震災直後、僕はアメリカにいましたが、多くのアメリカ人が混乱や暴動一つ起こさず、静かに避難する皆さんに驚愕していました。
人間はここまで強く美しくなれるのかと、世界中の人達が、皆さんの姿を観て感動し勇気を与えられたのです。
皆さんの存在は、世界の希望です」
たびたび岩手放送やネット等で発言してきたマレ(石井希尚)でしたが、
どうしても現地の御本人達の前で直接伝えたかったのです。
ゴスペルと和楽器の融合、称して「和ゴスペル」と言っている天国民(アメリカ名はHEAVENESE)。
民謡を思わせるVo.久美子のふしまわしや、和太鼓三味線のお囃子。
会場からは思わず手拍子が起こりました。
最後の締めくくりは、メンバー全員による太鼓演奏。
太鼓の街の皆さんの大きな拍手と、暖かい声援を頂きました。
天国民の演奏が終わった後は、モバイルキックバックカフェで
冷たいパフェやアイスコーヒー、チーズケーキなどのデザートタイム。
そして、支援物資もお持ち帰りいただきました。
(物資コーナーには、水俣のコンサートで寄せ書きされたメッセージも)
演奏を終えた天国民のメンバーも皆さんとお話させていただきました。
眼を赤くした御婦人が話しかけて来てくれました。
「こんな素晴らしいものを観られるなんて、生きていて良かった。今まで生きていて一番良かった」
今までが、震災以降なのか、その前からなのか。
どちらにしても、あまりにも重い言葉を頂いて、言葉になりませんでした。
多くの方が感謝の言葉をかけてくれたのですが、本当は私たちこそ皆様に感謝しなければならないのです。
なぜなら、被災地の皆様の、困難に立ち向かう姿こそ、私たちの希望だからです。
私たちの活動の母体はライヴハウス、そのライヴハウスを拠点にしている天国民のライヴは、
当初からぜひやりたかった事。
しかし、物資や食事の配給と違い、音楽イベントの開催には代表のマレ(石井希尚)を始め、皆が慎重になりました。
果たして、自分たちの音楽が受け入れてもらえるのだろうか。
今この時期が、それに相応しいのだろうか。
現地の関係者の皆様のアドバイスも頂きながら、慎重に慎重を重ねて上でのライヴ開催でした。
そんな、気苦労や不安が、全て報われた瞬間でもありました。
仮設住宅の代表の方が「今までのイベント(広田でやっていたもの)の中で、一番一つになってましたね」と、
予想以上の反響の良さ、人が集まった事に驚いておられました。
勿論、広報車や回覧板を回してくれた、地元の皆さんの協力による賜物でもあります。
ただ、一つ申し上げるなら、
5ヶ月に渡る10回の訪問で、私たちは広田の皆さんと友人関係になれたから、と思っています。
会場を見渡すと、あちこちに顔見知りの姿があります。
当ブログでもすっかりお馴染み、「キックバックカフェ広田店店長」の笠井進さん始め、
多くの方々と顔見知りになり、心を開いて語り合える仲にさせていただけたことが、今回のステージにつながっています。
この友情はこれからも深めていきたいですし、広げていきます。
震災と言う悲しみは確かにありますが、それがあって出会えた喜びを、私たちは広げていきたいのです。
(6/18に訪れてミルクの支援物資をお渡ししたときには、まだお腹の中に赤ちゃんがいたSさん。
無事出産し、生後18日の赤ちゃんを連れて会場に来てくれました)
また新しい、しかも不思議な出会いがありました。
地元の神社の総代さんと宮司さんが尋ねて来て下さり、
今年の秋に開かれる、復興祈願祭に天国民の参加をお願いしに来て下さったのです。
神社でゴスペル!身の引き締まる思いです(詳細は追ってお伝えします)。
支援物資の中に入っていたシャボン玉で遊ぶ子供たち。
舞台も撤収し、荷造りが終わった所で、合図をしたかのようなスコールが降りました。
熱気も汗も流してくれる、気持ちのよい大雨。
そして、空に架かった虹が、メンバーを見送ってくれました。
あまりにも素晴らしい自然の美しさ、そして同時に、あまりにも厳しい自然の脅威(災害)。
この2つを同時に体験した広田。
ここは祈りを捧げるのに、最も相応しい場所かもしれません。
(撮影:清水知成、筒井聖子)