2011年8月アーカイブ
(今やシンボルともなった、津波を耐えた一本松)
過去最大の50名に及ぶ関係スタッフが、通いなれた広田小学校前に集結。
早朝突然降り出した大雨に一瞬ヒヤリとさせられましたが、実はこの雨が最後にドラマを生むのでした。
雨もあがり、空は一気に青空に。それぞれが準備にとりかかります。
今回はキックバックカフェのスタッフ以外の、外部スタッフの力もお借りました。
今年の4月にキックバックカフェに出演したハワイアンバンド「KANEOHE GOOOOOOOD GUYS」のメンバー達は、
栃木県宇都宮でコンサート舞台設営の会社を持っているのですが、
今回の為に、二つ返事で機材を無料貸し出して下さり、しかもトラックを走らせスタッフを派遣してくれたのです。
【協力:東日本舞台株式会社】
もう一人の音響スタッフは、キックバックカフェでお馴染みのフリーのPA二本柳さん。
青森出身で、天国民バンドを良く知る彼の参加は非常に助かりました。
勿論、彼を含む全てのスタッフはノーギャラ。しかし、最高の仕事を目指します。
それが、本当の心なのだからです。
そして、今回のイベントにはもう一つのグループが参加、支えて下さいました。
宮城にあるソフトウェア会社グレープシティ株式会社、そして明泉学園の皆さんです。
震災直後から積極的に炊き出しで被災地を巡っていた、言わば「炊き出しのプロ」。
大型車と沢山のスタッフで(外国語教師の方々が中心)、食事を準備して下さいました。
モバイルキックバックカフェにとって、これ以上の頼もしい援軍はありません。
【協力:グレープシティ株式会社、宮城明泉学園】
そして、日本の西側からもサポーターが。
前回レポートした、7/30に熊本県水俣市で開催された『Send LOVEコンサート@水俣』。
その義援金で購入した新鮮な熊本の野菜が、大量に到着しました。
コンサートの主催者である、龍美光さん(コンサートの出演者で天国民メンバーの龍進一郎の父)と奥様、仲間の3人で、
何と自ら2000キロを運転して、物資を運んで来てくれたのです。
そして浜松からも仲間が到着。
リハーサルが始まると、太鼓の音に引き寄せられた広田の人達が集まってきました。
仲良くなった子供達とも再会。
子供達も支援物資の分類を手伝ってくれました。
イベント直前、控え室の校舎の一室にて。
「いいですか、これから僕らは、演奏技術を披露するライヴをやるんじゃありません。
震災で亡くなった魂と、残された人々の想いを天に届ける、祈りをするのです」
リーダーのマレ(石井希尚)がメンバーに念を押し、皆の心は一つになりました。
8月15日正午、イベントスタート。
先のグレープシティースタッフのサミュエルさんの流暢な日本語トーク&ネタや、
広田ですっかりお馴染みの、忍者達の挨拶もありましたよ。
ランチタイムは、焼きそば&ホットドック。
いよいよ和太鼓チーム「太鼓笑人めでたい」の演奏スタート。
キックバックカフェで何度もライヴをやってくれている、名門プロ太鼓集団出身の、関根まこと&江上瑠羽の演奏。
これを、誰よりも、太鼓の街である陸前高田の皆さんに観て頂きたかった。
私たちのささやかな夢がかなった瞬間です。
大太鼓を駆使したド迫力のステージもさることながら、演奏を観る広田の皆さんの眼も素晴らしい。
なんせ、拍手が沸き上がる場所が違う、玄人が観て「ここは凄いだろう」というポイントで沸き上がると拍手と歓声。
やっぱり、さすが太鼓の街です!
太鼓のバチさばきを真似る子供の姿も。
最高のオーディエンスの前で、やりがいある舞台を務めた関根&瑠羽さん。
しかし燃え尽きる間もなく、いよいよ天国民のライヴです。
この秋にLAツアーが決まっている天国民。
しかし、アメリカ以上に重要なステージ、陸前高田で精一杯のプレイをしました。
ユダヤの言葉で「ハレルヤ」の「ヤー」は、日本の祇園祭の「エンヤラヤー」と同じ、神を称える言葉。
我々日本人こそ、太古の昔から神に捧げる音楽、ゴスペルを歌っていたのです。
さあ、一緒に歌声を捧げましょう。
マレ(石井希尚)のリードで、場内が一つになったハレルヤコーラス。
希望の祈りよ、天まで届け!
この日、マレ(石井希尚)は、ステージからどうしても言いたかった事がありました。
「震災直後、僕はアメリカにいましたが、多くのアメリカ人が混乱や暴動一つ起こさず、静かに避難する皆さんに驚愕していました。
人間はここまで強く美しくなれるのかと、世界中の人達が、皆さんの姿を観て感動し勇気を与えられたのです。
皆さんの存在は、世界の希望です」
たびたび岩手放送やネット等で発言してきたマレ(石井希尚)でしたが、
どうしても現地の御本人達の前で直接伝えたかったのです。
ゴスペルと和楽器の融合、称して「和ゴスペル」と言っている天国民(アメリカ名はHEAVENESE)。
民謡を思わせるVo.久美子のふしまわしや、和太鼓三味線のお囃子。
会場からは思わず手拍子が起こりました。
最後の締めくくりは、メンバー全員による太鼓演奏。
太鼓の街の皆さんの大きな拍手と、暖かい声援を頂きました。
天国民の演奏が終わった後は、モバイルキックバックカフェで
冷たいパフェやアイスコーヒー、チーズケーキなどのデザートタイム。
そして、支援物資もお持ち帰りいただきました。
(物資コーナーには、水俣のコンサートで寄せ書きされたメッセージも)
演奏を終えた天国民のメンバーも皆さんとお話させていただきました。
眼を赤くした御婦人が話しかけて来てくれました。
「こんな素晴らしいものを観られるなんて、生きていて良かった。今まで生きていて一番良かった」
今までが、震災以降なのか、その前からなのか。
どちらにしても、あまりにも重い言葉を頂いて、言葉になりませんでした。
多くの方が感謝の言葉をかけてくれたのですが、本当は私たちこそ皆様に感謝しなければならないのです。
なぜなら、被災地の皆様の、困難に立ち向かう姿こそ、私たちの希望だからです。
私たちの活動の母体はライヴハウス、そのライヴハウスを拠点にしている天国民のライヴは、
当初からぜひやりたかった事。
しかし、物資や食事の配給と違い、音楽イベントの開催には代表のマレ(石井希尚)を始め、皆が慎重になりました。
果たして、自分たちの音楽が受け入れてもらえるのだろうか。
今この時期が、それに相応しいのだろうか。
現地の関係者の皆様のアドバイスも頂きながら、慎重に慎重を重ねて上でのライヴ開催でした。
そんな、気苦労や不安が、全て報われた瞬間でもありました。
仮設住宅の代表の方が「今までのイベント(広田でやっていたもの)の中で、一番一つになってましたね」と、
予想以上の反響の良さ、人が集まった事に驚いておられました。
勿論、広報車や回覧板を回してくれた、地元の皆さんの協力による賜物でもあります。
ただ、一つ申し上げるなら、
5ヶ月に渡る10回の訪問で、私たちは広田の皆さんと友人関係になれたから、と思っています。
会場を見渡すと、あちこちに顔見知りの姿があります。
当ブログでもすっかりお馴染み、「キックバックカフェ広田店店長」の笠井進さん始め、
多くの方々と顔見知りになり、心を開いて語り合える仲にさせていただけたことが、今回のステージにつながっています。
この友情はこれからも深めていきたいですし、広げていきます。
震災と言う悲しみは確かにありますが、それがあって出会えた喜びを、私たちは広げていきたいのです。
(6/18に訪れてミルクの支援物資をお渡ししたときには、まだお腹の中に赤ちゃんがいたSさん。
無事出産し、生後18日の赤ちゃんを連れて会場に来てくれました)
また新しい、しかも不思議な出会いがありました。
地元の神社の総代さんと宮司さんが尋ねて来て下さり、
今年の秋に開かれる、復興祈願祭に天国民の参加をお願いしに来て下さったのです。
神社でゴスペル!身の引き締まる思いです(詳細は追ってお伝えします)。
支援物資の中に入っていたシャボン玉で遊ぶ子供たち。
舞台も撤収し、荷造りが終わった所で、合図をしたかのようなスコールが降りました。
熱気も汗も流してくれる、気持ちのよい大雨。
そして、空に架かった虹が、メンバーを見送ってくれました。
あまりにも素晴らしい自然の美しさ、そして同時に、あまりにも厳しい自然の脅威(災害)。
この2つを同時に体験した広田。
ここは祈りを捧げるのに、最も相応しい場所かもしれません。
(撮影:清水知成、筒井聖子)
天国民メンバーのオペラ歌手、龍進一郎と妻三佳代によるチャリティーコンサート「Send LOVE コンサート~水俣から愛を~」です。
同時にキックバックカフェのイベントにも参加したり、何よりもアメリカツアーを控えた天国民のコーラスメンバーとして活躍中です。
そんな彼が、前回のモバイルキッズフェスタに参加し、陸前高田の子供達とふれあい、その様子を実家の両親友人に話しました。
これを聞いた水俣の家族友人達は「我々も何か出来ないだろうか」と話し合い、チャリティーコンサート開催を決めたのです。
ただでさえ遠くはなれた水俣の地では、4ヶ月も前の震災は人々の記憶から離れ去ってしまってる、チャリティーをやることによって一人でも多くの人に陸前高田の現状を訴えたい。
最初は小さな会場でと考えていましたが、周囲の意見により960人収容の水俣市文化会館を選びました。
大きな会場で、沢山の人を集めて、広くアピールしなくては意味が無い。
たった2ヶ月の準備期間、本来ならあり得ないこのプロジェクトも、動き出すと協力者が現れ、地元企業もスポンサーとして次々に手を挙げてくれました。
記者会見の場が設けられ、集まったのはテレビ3社新聞4社。
街中にポスターが貼り出された当日、7月30日。
コンサートがあるからと、早めに店が閉まるなど、水俣市がSend LOVE一色になったと言っても過言ではありませんでした。
同時に、このコンサートは決して自分のコンサートではなく、自分は音楽で愛を伝える「道具」に過ぎないのだと実感したそうです。
開演直前、出演者同士手をつなぎ、東北岩手の人々への想いを祈りました。
ステージに立った龍進一郎と、同じくオペラ歌手龍三佳代。実は結婚記念日が7月で、今年が結婚8年目。
夫婦であり良き音楽仲間である二人の、節目となるステージにもなりました。
出演者である彼らは全員無報酬、そして会場費などの経費は全てスポンサー寄付。
これによって、入場料は1円残らず陸前高田の為に贈られます。
「このシンプルさが、多くの方の共感を得たのだと思います」
プログラムはオペラの名曲の数々と、「千の風になって」「星に願いを」などのポピュラーナンバー。
そして、天国民の龍進一郎を語る上で欠かせないゴスペル「Deep river」。
「結局この曲に、今回の全てが込められてるんですよ」
絶望の深い川の向こうにある、約束の地への希望を歌った黒人霊歌を、龍進一郎は数百キロ離れた東北の地に向かって歌いました。
天国民のオリジナル曲で、Send LOVEプロジェクトのテーマ曲でもある「大切な人よ」を、龍進一郎の母校水俣高校音楽部の生徒と共に合唱した時、
会場の空気は言い表せない感動、「愛」に満ちたものとなりました。
彼の恩師であり、Send LOVEコンサート実行委員長でもある、岩本義久師の尽力により実現したコラボレーション。
夏の大会など忙しいスケジュールの中で練習を重ね、見事に先輩と素晴らしいステージを作ってくれた水俣高校音楽部の皆さん、本当にありがとうございました。
しかしそれを克服する、徹底した環境対策に取り組んだ結果、国内有数の環境モデル都市にもなりました。
どこよりもきれいな自然を、自分たちの手で取り返した水俣の人達にとって、荒れ果てた陸前高田の地は決して人ごとでは無かったのです。
「僕は最初、震災を風化させてはいけないと思ってこのプロジェクトを始めたのですが、
結局わかったのは、全く風化してないじゃないか、という事。
ここの人達は、心の奥でずっと東北の人たちの事を心配していた。
そして、何かあったらぜひ応援したいと、きっかけを待っていたんだと思います」
そう語る龍進一郎のもとには、是非とも第2弾をやってほしいと、各方面からの声が届いています。
「1回で終わらずに続けて欲しい」
「一生忘れない貴重な体験」「課外授業にも変えられない」と話してくれたのは水俣高校音楽部の皆さん。
次回は天国民コンサートを、という話も持ち上がってもいます。
「この日僕は、音楽にしか出来ない、人の心を一つにする力を知りました。
そして、陸前高田や東北の人達に、例えどんなに離れていても、水俣は皆さんの事を思っている。
これを伝えたいと思います」
大きな想いを胸に、龍進一郎は天国民メンバーとして、今度は8月15日陸前高田のステージ立ちます。
評判は非常に良く、子供達はもちろん親御さんからも喜んで頂けました。
前回のイベント後にモバイルキックバックでお邪魔した際には、
子供達から「忍者達は今度いつ来るの?」という言葉もかけられました。
沢山の子供達の声に応えるため実現した第2弾。
今回も総勢28名のスタッフ&ボランティアが乗り込みました。
勿論、モバイル・キックバックカフェもオープン。
美味しいスィーツを楽しみながら、イベントに参加してもらいます。
地元の若者達と、同世代ならではのふれあいが持てたと思います。
そして今回は何と、第1弾の時に知り合った地元の中高生3名が、忍者スタッフとして参加協力してくれました。
一緒にイベントを作り上げることが出来たのは、本当に嬉しいことです。
そして、いきいきと働く彼女達の姿に、私たちスタッフは大いに元気をもらいました。
(朝早くから合流し、忍者に扮装中。現地の中高生スタッフ)
会場は前回同様、広田地区の広田小学校と高田1中。
今年は一学期が始まるのが遅かったので、夏休みは(7月30日~8月17日)。
つまり、夏休み初日のキッズフェスタになりました。
到着して、忍者を見るやいなや、めいっぱい手を振って駆け込んでくる子。
「ジャンケンが弱かったんだよね」とか、前回の出来事を詳細に覚えていて話しかけてくる子。
スタッフの名前まで覚えてくれていたり、中には抱きついて離れない子も。
前回のたった一度の出会いで、ここまで距離が縮まっていることに、スタッフ達も驚かされました。
現地ではたくさん積み上げられたお宝をゲットしようと子供たちは一心に修行。嬉しそうにお目当てのお宝をゲットした子供たちの笑顔がとても印象的です。
でも、雨が降らなくて部活があったら、高田まで会いにいくつもりだったそうです。
最後に皆で作った「じゃんけん列車」。
5年生の女の子がしっかりと頷き「これが、楽しみなんだもん」と静かに、つぶやきました。
お互いに手を強く握り合い、イベントを締めくくりました。
初めて参加した者は、テレビや新聞で伝わらない衝撃を、今もなお受けたようです。
子ども達もテンションアップ!
アメリカツアー前に猛特訓中の太鼓を披露してくれました。
8月15日にいよいよ広田で天国民がライヴをやります。
イッキの誘いに何人かの子達がバチを握ります。
その本格的なバチさばきに「さすが太鼓の街」とイッキは感心していました(焦ってたかもしれませんよ)
震災で親友を亡くしたという女の子が、スタッフに自分の体験を話してくれました。
当時小学一年生の彼女は、帰りの会をやっていたときに地震がきました。
「机の下にかくれて、揺れが収まってから避難した。
5年のお兄ちゃんとは、避難経路や別で、しばらく会うことができなかった。
そのあと、お兄ちゃんにあえて、お母さんもむかえにきてくれた」
避難所生活を経て、現在は仮説住宅にいますが、その間、インフルエンザになったり、とびひになったそうです。
通っていた高田小は一階が津波にやられましたが、今は、きれいにして校舎をつかっています。
「でも、転校する友達いっぱい」
彼女は、前回のプレゼントだったバッヂを帽子につけて、毎日学校へかぶって通っているそうです。
たとえ離れていても、あるいは、同じ体験(被災)をしていなくても、心を通じ合わせることが出来るのだ。
帰りのバスをどこまでも自転車で追いかけてくれて、見えなくなるまで手を振ってくれた、小さな友達の姿に、大きく励まされた私たちでした。