7月6日 23:00
KBCのイベント終了後、チーズケーキと「がんばれ東北ブレンド」のドリップコーヒー、
そして仲間が用意してくれた野菜を積み込んで調布を出発。
いつもは土曜日ですが、今回は平日の木曜。しかも七夕。
7月7日 8:30 広田小到着
進さんをはじめ避難所に残った方々も3日前に仮設住宅に移り、
10日には広田地区災害対策本部は解散し、
代わりにコミュニティーセンターがまとめ・取次ぎ役になるとのこと。
広田小避難所からは広田小グランドと水産高校の仮設に2箇所に分かれ、
今回は水産高校仮設にて、モバイルと野菜の提供をさせていただきました。
ささやかながらの「仮設住宅入居祝い」になればいいのですが。
広田小避難所の炊き出し隊長のお二方で最後まで避難者の食事を作り続けた功労者。
(小松さん(左)と住田さん(右))
仮設自宅前で進さん
コミュニティーセンターの藤田さんとキッズフェスタの打合せの後、
よさこい命のスタッフ・マイケルさんに「例のモノ」を支援物資。
広田地区でのキッズ・フェスタの開催はほぼ決定!
次はオートキャンプ場モビリアに行く予定だが、我らがじっちゃんとばっちゃんに
顔を見せずに素通りは出来ず、野菜を取り分け挨拶に行く。
「そうめん湯がいたから食べていってよ!いつもすぐ行ってしまうんだから!」
とばっちゃん。
断るわけには行かず、おじゃましました。
最高に美味いそうめんと最高に美味い炊き込みご飯を最高に甘いさくらんぼ、ご馳走様でした。
そう言えばこれまで立ち話ばかりで、ゆっくり話しさせてもらったことがなかった。
災害当日の話、亡くなった知人の方々のリアルな話をお聞きしました。
「すぐそこまで津波が来たの。私達は生かされているのよ。
食べるものも十分にあるし、だから、こうやって作ったら近所の人にもおすそ分けしたり、
一人暮らしの年寄りのところに持っていくの。
生かされている者同士助け合わないといけない。
こうやって何度も遠くから来てくれるみなさんに食べてもらって、
おいしいって言ってくれるのが、それがうれしいのよ」
隣でじっちゃんはうんうんと頷いていた。
「これからはちゃんと連絡よこして、必ず寄って食べていってよぉ。親戚みたいなものなんだから」
と見送ってくれた。
愛おしい、じっちゃんとばっちゃんである。
そして、急いでモビリアへ
2度目のモビリアでオープン。
モビリアでは、他にはない木造1戸建ての仮設住宅が建設中。
まるで避暑地・リゾートのようなで、高台から見渡すキャンプ場の風景は
震災なんて無かったかのようなに平和に見えた。
しかし、山の向こう側は津波の爪痕が生々しく残ったままなのだ。
そしてここに住む人たちはここに住みたくて住んでいるわけではない。
非常にナイスなスタッフ・蒲生さんと素敵な仲間と笑顔で別れ、第二庁舎へ。
13:00 鳴石団地にある第二庁舎、到着。
スケジュールの都合で会えない予定だった金先生がわざわざ挨拶しにきてくれた。
教育委員会をはじめ、健康促進課、水産課、土木課、労働組合他に差し入れし、坂を下り一中へ。
15:00 高田第一中学校着
ドリップ用の機材をトラックから全て降ろし、野菜を積んで米崎中の仮設へ。
米崎小で出合ったノリに連絡したら、米崎中の仮設に入ったとのこと。
彼は仕事で不在だったが、自治会長の金野さんに野菜と「明けない夜はない」をお渡ししました。
そのころ一中では、幸三と白岩がガンガンコーヒーを量産し、
新潟の看護学生のボランティアの女性がサーブを手伝ってくれた。
津波で完全に破壊された気仙大橋の傍を通って一中に戻る。
ツイッターのフォロアーのツイートを思い出したからだ。
「ラジオの交通情報で気仙大橋の仮橋が7月10日に開通の情報。
秋頃の開通を目指してたはずなので、土方のオヤジ達がプロジェクトXみたいな事
やってるんだろうなと思うと朝から目頭が熱くなる思いだ。」
一中に戻って、事務局長のササキさんとイベントの打合せをして撤収。
7月末には陸前高田最大の避難所も対策本部も解散し、学校に返すとか。
17:00 最後に新庁舎へ
いつもはお邪魔するのが土曜日の夕方なので、職員の方はあまり多くなかったのですが、
平日は沢山の職員の方が忙しそうに働いておられました。
朝から続くピークのまま夕方を向かえ、仕事がひと段落したところだったらしく、
コーヒーでホット一息ついてもらえたようです。
2Fの別の課からも「いい香りがする~」と集ってくれました。
陸前高田の2/3の職員の方はお亡くなりになり、彼らも正真正銘の被災者。
深い悲しみと沢山の課題を抱えながら道を切り開いていかなければいけない。
彼らを微力ながら支えていけたらと心から思う。
(ピースの方は最後の1杯)
次はアイスコーヒー!そしてアイスクリームを用意したい!
18:00
帰りは曇り空。雨がポツポツ降りはじめた。
日本中で様々な願いを込めた七夕の短冊が掲げられたのだろう。
陸前高田の人々の願いは・・・
未来の約束か、安心か、仕事が、お亡くなりになった愛する人との再会か、
それを軽々しく聞くことなどできない。
でも今こうして生かされている僕自身が、何を願って、何を信じて生きているのかを
よくよく吟味し、自覚して、大切にしなければならない、と思った。