2011年3月アーカイブ

マレ&久美子陸前高田入り(3/29)

コミティッド代表石井夫妻は、陸前高田に29日昼に入りました。
まず向かった先は、壊滅的被害を受けた陸前高田の市街地。
昨夜の雪空が昼には晴れ渡り、土ぼこりが延々と続く瓦礫の山を覆っています。
95年阪神震災と、07年スマトラ沖地震の被災現場を歩いたことがある2人でさえも、「見た事が無い光景」と言葉を失いました。

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「手前10メートルで波が止まり損壊せず残った」という教会、陸前高田キリスト教会を尋ねた後、市の対策本部を訪問。
本格的に始まる支援活動の、具体的な打ち合わせに入りました。
今週末、キッキバックカフェの炊き出しがスタートします。

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対策本部で打ち合わせをしている最中、スタッフ長谷川加奈のお母さん、長谷川敬子さんと再会しました。
市職員の敬子さんは、現在もプレハブの仮設庁舎で業務をしています。

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打ち合わせ後は、スタッフ長谷川加奈の実家におじゃましました。
幸い家屋は無事だった長谷川夫妻はなんとこの日が結婚記念日、娘の加奈が思い出したように言いましたが、静かにうなずくだけの2人でした。

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奥様の敬子さんが務めていた市役所。
地震発生直後、避難先導をしながら、3度目の忘れ物を取りに庁舎3階に上がった時、大波が襲ったそうです。
一瞬の出来事が生死を分ちました、残された者の使命天命を、心に刻まずにはいられません。

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物資受け渡し、復興に向けた朝

3月29日あさ、皆様からお預かりした支援物資第2便を、無事陸前高田の対策本部にお渡ししました。

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この日の朝、繁華街のシンボルで被災してしまったショッピングセンター「マイヤ」が、住宅街のそばに特設オープンされました。
市民に馴染みの店名が、形は変われど再び消費流通の場として再開したのは、果てしない復興の道への励ましと言えます。

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マレ&久美子岩手入り(3/28盛岡)

28日(月)朝10:20より、岩手放送ラジオ「朝からラジオ」に石井希尚は電話出演しました。
この時間は岩手放送テレビも同時に放送している震災情報コーナーでしたが、そこでアメリカの状況、そして、今後の活動について「短期ではなく、長期に渡って復興支援に尽くしたい」と話しました。
また、牧師でもある自分は、例えば結婚式をこの震災のせいで挙げる事が出来なくなったカップルがいるなら、自分が駆けつけて司式したい、とも提案。
物資だけではなく、心と人生の復興支援を目指したいということです。

電話出演後、秋田空港を経由し盛岡に夕刻到着した石井夫妻は、岩手放送ラジオのレギュラー番組「こちら志家町6−1」の出演者仲間、神山アナウンサーと佐々木由香利さんと合流。
神山アナウンサーは、テレビの中継で早くから陸前高田に入っており、その生々しい状況を話してくれました。
北上在住のジャズシンガーの佐々木由香利さんは、連日被災地を物資を運び歩く行動派、その活躍には頭が下がります。
報道として現場の最前線にいる方々からの貴重な情報とアドバイスにより、より一層私たちの活動の指針が明確になってきました。

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岩手放送のスタジオにいる私たちのところに、一本の電話がありました。
先週来日し被災現場に入っていた、私たちの協力団体ホープ・フォー・チルドレンの医療救済メンバーが、陸前高田からこちらへ向かっているとのこと。
急遽番組に出演してもらい、彼らの目から見た被災地レポートを話してもらいました。
過去、世界中の災害現場を見て来た彼らが「今まで見た事が無い惨状」と言い切った事に、私たちも驚きました。気仙沼など、海岸沿いに現場を見て来た中で「陸前高田のは特に深刻だ」とも分析していました。
私たちに何が出来るのでしょう?
メンバー最年長ジョンの答えは「悲しみの中にある人達に、自分たちは心配されているのだ、と伝えなくてはいけない。国境も人種も関係なく、彼らは私たちにとって大切な存在なのだから」でした。

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支援物資第2陣出発

今夜、支援物資の第2陣が出発します。

支援物資を受け付けているオフィスでは、
たまたま通りがかって支援物資の看板を目にし、
今自分が買い物してきた物を、そのまま置いていってくださる方がいたり、
靴下にこども達へのメッセージが入っていたり、本当に皆様の温かい心を感じる毎日です。

KBCの常連出演ミュージシャンの、仙川・桐朋学園出身の『いちむじん』さん、
地震でライブが中止になってしまった『unistyle』さんからも支援物資をお預かりしました。
レギュラーイベント『Tokyo Groove Nights!』のZak Bondさんは、
ライブのお客さんにも呼びかけて、支援物資を集めてくれました。

また荷物を運ぶための車は、ニッポンレンタカー仙川営業所様が
「仙川の皆さんからの支援物資をお運びするのなら」と格安で貸してくださり、
スタッフの皆様から義援金もお預かりしました。

皆様からお預かりした物資を、心と一緒にお届けしてきます。

明日は月曜から現地入りしている、オーナー夫妻&スタッフと合流。
(岩手放送のラジオ、テレビに電話出演し、諸々の打ち合わせをしております)

また現地での必要をリサーチしてお伝えします。

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心の救援

昨晩からの冷え込みで、今朝は岩手県にも雪が降りました。
極寒の被災地の、灯油不足が心配になります。

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市役所始め街の中枢だった、陸前高田の繁華街跡地。ニュースで何度も流れた、津波が直撃した現場です。
写真の彼女は、津波で家を失い、兄弟と父親が行方不明。
当たり前にあった街の景色が変わり果て、理解しがたい現実と向かい合わなくてはいけない今、
生活物資と同様に、心のケアが必要だと言われています。
長い長い復興の道のりを共に歩む、心の救援にも私たちは取り組んでいきます。

今日(28日)夕刻、コミティッド代表石井希尚と妻久美子が盛岡入りし、岩手放送とミーティングをします。

「出身者」の若い力

陸前高田に関するあらゆる情報をとりまとめたサイト、SAVE TAKATAの代表佐々木さんが、東京調布のKICK BACK CAFEに来店。同時に、このサイトを通じて連絡を取り合った沢山の同級生が集まり、さながら同窓会のようでした。
たとえ場所は離れていたとしても、ふるさと復興の鍵となる、もう一つの若い力です。

佐々木さん(右)は、ウェブ関係の仕事をしている東京在住、陸前高田出身者。
震災直後、何か出来ないかと、単身陸前高田に車で乗り込む事を決意、それを聞いた周囲の同級生達がフォローしようと連絡を取りあい、それがそのままSAVE TAKATAという組織に発展したのです。
震災時、どこよりも正確で、効果的に情報収集&発信をしていたこのサイトは、東京を含む全国に散らばる陸前高田出身者達にとって、貴重な存在だったのです。

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彼らの協力者、陸前高田ふるさと大使の村上清さん(右)ともお会い出来ました。
今後の活動の貴重な情報交換の場となりました。

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岩手放送ラジオ特別番組(3/26,4/2)

現地民放メディア岩手放送と共に、ドキュメント番組を制作しました。
岩手放送としては、情報番組以外で始めて震災をあつかったメッセージドキュメントです。

<タイトル>
「こちら志家町6-1」ふるさとは負けない ~自慢のふるさと~

<放送局>
岩手放送ラジオ

<放送予定日>
3月26日(土)21:00~22:00
4月2日 (土)21:00~22:00※再放送

<内容>
・陸前高田出身、キックバックカフェのスタッフ長谷川加奈のロングインタビュー
・現地を取材したコミティッドの福原尚虎が、番組をナビゲート
・コミティッドの代表マレが、カウンセラーの立場から希望のメッセージを届ける
・番組の最後には、戸羽太陸前高田市長の市民へ向けてのメッセージ

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暖房を使わずスタジオで編集作業をする岩手放送鈴木ディレクター


2011.3.23 第一陣戻りました

第一陣は、陸前高田市に入り、市長とも話をすることができました。

避難所を回って現状を把握し、今後の長期的な支援に備え準備を整えてゆきます。

我々が到着した月曜から、ようやく、がれきの撤去作業がスタートしたそうです。

必要な物資に「滑り止め付き軍手が追加されました。

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左:戸羽太市長  右:スタッフの福原  

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支援物資をお渡ししました

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変わり果てた故郷を歩くスタッフのカナ

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避難所になっている小泉公民館を訪ねる

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他の避難所でも現状を伺いました(地竹沢公民館:会長の鈴木善久さん)

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自衛隊の仮設浴場も設置されていました


同行した岩手放送IBCラジオのスタッフからインタビューを受けたスタッフのカナ。

その内容を含め、なんと特別番組が作られる運びになりました。

IBCラジオの番組で電話相談のレギュラーコーナーを持っているマレ(キックバックカフェ・オーナー)と、

陸前高田市長のメッセージも放送されます。

2011.3.20 第一陣が出発しました

第一陣の主な目的は、今後の具体的な支援活動の為に、
実際の現地の状況を把握するものです。
(身軽に行動できるよう、最小限のスタッフで、
積めるだけの支援物資を積んで行きました)岩手放送スタッフと合流し、陸前高田市に入ります
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